仕事を底辺って言うから日本元気ないんじゃない?
「〇〇の仕事は底辺だ」
って人の仕事を言う人が世の中いるけど、あれって何なんだろう?
卑しいと言われている仕事の方が稼げますし、今こそ一流といわれている金融業界のお仕事だって大昔は誰もがやりたがらない卑しい仕事だったんですよ。
それでもユダヤ人が中心になって金融に取り組んだ結果、ユダヤ人の中には莫大な資産を手に入れた人もいるわけです。
新卒の就職でも、人気の高い電通や博報堂だって最初はただのベンチャー企業で
言い方によっては花形の仕事とは程遠い、チラシ屋だったわけですよ。
で、何が言いたいかと言いますと、昔と比べて今の日本に元気がないのってこの「底辺」という言葉を代表する仕事の貴賎評価にあるんじゃないのかな?と考えてます。
本田宗一郎や松下幸之助は底辺なのか?
ここで何となく、この2人を例にあげましたが、今や日本を代表する自動車メーカーの創業者本田宗一郎さんは、最初はただの機械イジリの好きな人でした。
技術屋を始めた時に、「自分は所詮タダの技術屋だ〜。底辺だORZ」と思いながら仕事を行なっていたら今の世界を代表する企業HONDAは存在したのでしょうか。
松下幸之助さんも、路面電車に感動して今の関西電力に入社して当時危険な作業であった電球を取り外す作業を楽にできるソケットを考案したエピソードがあります。ここでも松下さんが「どうせ俺はただの電気屋だから一生給料上がらないだろうな〜ORZ」って思いながら仕事をしていたら、日本の社会基盤を支えているパナソニックがあったでしょうか。
そんなことはないですよねo(`ω´ )o
どちらの創業者も自分の仕事が好きで誇りを持っていたし、自分の夢を叶えたいという野心があったからではないのでしょうか。だからこそどちらも一代で日本をそして世界を代表する企業を作れたのではないでしょうか。
自分が普段お世話になっているし、なるかもしれないのにいうの?
よくコンビニバイトや介護職を「底辺」という人がいますが、コンビニのフランチャイズに加入しているオーナーがいてそこでバイトする人がいるから便利で快適な買物やサービスを受けられますし、介護も数十年後自分も利用したりお世話になるかもしれません。
様々な人がいて社会が支えられているのにどうも私達はおこがましく勝手に仕事にランクや貴賎を無意識につけてしまっているような気がします。
まあ、僕も時々思ってしまうことはあるんですけどねORZ
それでも、様々な人たちに今の生活が支えられていることを意識していかないといけないですよね。
親世代も仕事そのものを見ていない
そして、我々が進路を決める際にアドバイスをする親も、仕事そのものを見ていないような気がします。
確かに、自分の子供を苦しめたい親なんていうのはほとんどいません。だからこそ、安定した収入や社会での知名度などが高い会社に入って欲しいと考えるものです。
ですがその親たちが忘れているのはその会社も、先人たちの努力によって築かれているということです。
つまり親世代もどこの企業なら安心できて、先の心配がないかということに関心の大部分があるということです。これからの時代は安定した場所に滑り込んで、生き延びるという生存戦略は難しくなってきています。
それよりかは、自分の子供が本当の意味で1人の個として生きていくためには何が向いているのか、何を身につけさせていくのかを考えていくべきです。
仕事を再定義する時代なのかもしれません
まあ、ここまで僕の勝手な主義主張で徒然なるままに書いておりましたが、一つ言いたいのは仕事はどこの会社に入るのかということではないということです。
そもそも仕事って事に仕えると書きます。決して組織に仕えるという意味ではありません。自分の決めた事に仕えることでその対価として、金銭をもらい生きていくということです。
自然界に置き換えるなら餌の取り方です。他の動物だと、ライオンに生まれたらライオンの稼ぎ方、シマウマに生まれたらシマウマの稼ぎ方しか覚えられません。
しかし、人間には無数の餌の取り方から自分にあったものを見つけて自分のものにできるという大きなアドバンテージがあります。
僕も早く自分にあったエサの取り方を身につけたいものですORZ
そして、自分の一人一人の仕事にみんなが誇りを持てるようになっていくことが日本が元気になるのに必要なのかなと感じる今日この頃でございます。