you the world

毒にも薬にもならないブログの予定でしたが、自分の成長と発見を書きます。読者登録大歓迎!!

最初はキツキツ、入ればガバガバが日本をダメにしたんじゃない?

 まあ、タイトルの通りなんですけどね。日本ってなんかそんな感じしません?

 え、これじゃ分からない?
 
 要するに日本の大学とか、大企業って入るのは難しいけど、入っちゃえば後は緩くいっても大丈夫な感じがあるじゃないですか。

 今回は、そのことについて書いていきたいと思います。

 

 

 一回入っちゃえばなんとかなっちゃう日本の社会システム

 大学生ジョークじゃないですけど、「一番頭が良かった時期は入学直後」なんて言葉があるように、基本的によほどのことがなければ大抵の大学は、受験勉強以上に勉強をやらなくても卒業はできてしまいます。

 東京理科大学のような入るのも大変で卒業も難しいところもありますけどね。

 僕の友達の話なのですが、AO入試で私立大学にいった人がいて、その人なんかは一般入試だったらE判定の大学に入学しちゃったんですよ。

 絶対に卒業できないだろうなんて思っていたのですが、実際はキャンパスライフを満喫しながら、大手家具メーカーのグループ企業に入社しました。

大企業羨ましいORZ

 また、近年人気が下火になりつつも根強い人気のある職業公務員も、確かに専門学校や資格学校で対策教室が開かれる程、難しいものですが、一度入ってしまえば法律でその身分が保証されます。

 よほどのことがない限りクビになることはなく、仕事ができなくても配置転換などで、そんなに忙しくない所へ異動になるなどの救済措置的なものがあります。

 このように、仕事にしても大学にしても日本の選抜されるものって結構一度入ってしまえば、その場所にずっといられるような作りになっているように感じます。

 そして、この流れが今の日本に元気がない理由の一つなのではないかと考えています。

「その一瞬だけ頑張れば良し」を作ってしまった功罪

 よく高校の先生が「この3年間一生懸命勉強すれば後の人生楽になる」とかいって受験生に発破をかけるシーンを良く見かけたりします。

 また、親世代は「大企業に転がり込めれば安定」だとか、「公務員になれば、机で新聞読んでるだけでお金が貰えるから頑張りな」だとか言っちゃう人がいます。

 そう、まるで今この一瞬を耐えれば極楽浄土が待っているかのような口ぶりで子供達に努力をするように促してきました。

 ですが、果たしてそんな発想で努力をする人が増えて果たして世の中良くなるのでしょうか。

 結局のところ、「それがステータスだから」だとか、「楽になる」とかをモチベーションにして、企業理念だの、学問を探求する場に来る人が増えて世の中良くなるのでしょうか。

 かつての世界で名を轟かせた日本の大企業もそのようなモチベーションで入ってきたような人達が増えすぎてしまったのが、衰退の原因の一つなのかもしれないですね。

 もちろん、スポーツのように本番の一瞬のために辛いことを乗り越えてパフォーマンスをすることは決して悪いことではありません。

 問題は、スポーツの場合は長いスポーツ人生の中で何度も本番のパフォーマンスを最高に高めるため努力をし続けるのに対し、入試選抜ごとは一回ポッキリでいいと言う点なのです。

 勿論、受験や就活を通じて自分で目標を定め、努力を継続していく下地を作れると言う意味では、このような努力の仕方が無意味というわけではありません。

 それでも人生100年時代、極楽浄土を目指して一瞬死ぬ気で努力して後で楽をするよりも、コンスタントに程よい負荷で死ぬまで継続的に努力をした方が特なのではないでしょうか。

 

努力をすれば必ず報われるが前提に成立していた日本のシステム

 そしてなぜ今の日本の社会がこのような感じになっているのかと言われれば、横並びの成長と努力は必ず報われるということが前提条件にあったからです。

 基本的にかつての日本社会は、レールの上に乗っかっていた方が得でした。いい高校に行き、いい大学に行く。そして安定した大企業に入社することでみんながステータスと呼ぶものを手に入れることができるという社会でした。

 また、年金制度も「日本のために会社に入社し、一生懸命働けば老後は死ぬまで面倒を見てあげますよ」という制度に個人的には考えています。そして頑張れば後は楽になれるという発想で働く人達を保証していました。

 しかし、この仕組みを維持するのには安定した成長が必要です。そしてその成長はバブル崩壊とともに失われました。そして徐々に、かつての幸せのロールモデルだったものは過去の遺物となってしまいました。

 そんな社会的な前提がとうに崩れたにも関わらず、昔のような入試選抜システムが行われ続けているのが日本衰退の理由の一つなのではないでしょうか。

 

耐えればなんとなくなる時代は終わりました

 このように、個人的に感じることは、一瞬の努力で選抜競争に勝ち残れば安泰という社会の流れが失われた20年を増長していたのではないのかな〜と思います。

 昔のように耐えればなんとかなるということは今後ほとんどないのではないでしょうか。むしろ、継続的にそこそこの努力と勉強を死ぬまで続けて問題解決のために頭を使い続けれなければならなくなっています。

 だからこそ、僕みたいに継続すつ力が弱い人を増やさないように早いうちに継続的に物事を続けれられる習慣をつけていった方がいいです。

 今日はそんな感じです。

 

以上で〜す。